たつの淡口醤油と室津の牡蠣

Pocket

yagi_main

tatsuno-img龍野は、酒造地として出発、万治元年(1658年)、6300余石の酒造米を消費していたことが記されており、この頃の伊丹、灘の酒造をしのぐ勢いであったことは注目すべき事実です。酒造地としての「龍野」が隆盛していて、副次的に醤油業を営んでいたと思われます。

酒造米の地であった龍野は酒造の地でもありましたが、地理的側面から見れば、“水”が酒作りにあいませんでした。 寛文年間(1660年代)、蔵に仕込んだ酒が次々に腐り、この頃から多くの酒屋が醤油屋に変わったという話が あります。腐った原因は、龍野の水は軟水で、酒造りに必要な硬度がなく、酵母の無機栄養分が不足していた為というのが、現代科学の答えです。

<龍野の淡口醤油>

醤油、特に淡口醤油に使用する水は、水分中の鉄分が少なければ少ないほど、色が薄く仕上がると 言われています。 龍野を貫流する揖保川は、この鉄分が、県下の他の河川に比べ、最も少ないといわれています。 酒造りには適さないが、淡口醤油には最適の水に恵まれ、その上、原料調達に地理的条件の整った醤油業へ 転換していくのは自然の成り行きでしょう。

◆大豆:醤油の主原料の大豆が宍粟郡、佐用郡でとれ、 入手が極めて容易であり、その品質も大変優秀である。 業界の発展に伴って岡山からも大量に揖保川高瀬舟によって移入されている。 ◆小麦:小麦は龍野の中心から大体1.5里(約6km)の範囲内の近在の農家から直接購入するか、在地の小麦問屋商人を通して入手する方法がとられた。 そのほか、赤穂の塩、揖保川の水など、豊かな環境と素材に恵まれている。

我が国の醤油が、今日の醤油の形態を備えたのは、僧・覚心(法燈国師)が宋より径山寺味噌の製法を持ち帰り、1254年、紀伊 ・由良の住寺、興国寺近辺に伝えたのが始まりであると云われています。 中世から、京都、堺、湯浅等を中心に、営業としての醤油が造られるようになり、近世に入ると、流通の発展を機に、各地でも醸造され、醤油の名産地を生み出す結果となったようです。

龍野の醤油は、円尾屋孫右衛門によって天文(1532~54年)の頃、はじめられたとも、あるいは栗栖屋・横山五郎兵衛によって天正18年(1590年)にはじめられたともいわれています。

芳醇な深いコク、まろやかな風味、その贅沢にして優雅な本格的な美味しさを追究し続けている矢木醤油は、この銘醸地で、初代 矢木正三により、明治39年(1906)に創業しました。 以来、ショップなどを通して全国のお客様へ、そして一流料亭でも認められるようになり、業務用としても幅広くご愛用いただいております。

たつの市商工会企画で、この矢木醤油と播州室津産の牡蠣がコラボ、「播州室津牡蠣しょうゆ」が誕生しました。

<室津の牡蠣>

kaki-img港町として1300年の歴史を持つ室津。 兵庫県たつの市御津町の播磨灘に面する室津港は、古くから天然の良港といわれ栄えてきた漁港です。 新鮮な海の幸がこの地域の特産物として知られており、中でも、冬に水揚げされる牡蠣がたいへん注目されています。

瀬戸内海の播磨灘 室津漁場で養殖される牡蠣は両端を流れる千種川、揖保川からの豊富な栄養分を含む水の恩恵を受け、丸々と大きく太く育ちます。 毎年春で出荷を終え、4月~6月は漁場を休ませる為、栄養豊富な清浄海域が保たれます。 梅雨時期の種付けから5カ月程で急激に成長し、通常の2年牡蠣とは違い、この豊かな漁場で牡蠣を育てています。 丹精込めて育てられた播州室津の牡蠣から抽出したエキスの旨みと風味は、舌の肥えた方々にきっとご満足していただけると思います。 兵庫県たつの市産の「播州室津牡蠣しょうゆ」を是非ご賞味ください!

コメントを残す

全国各地からこだわりの一品をお届けます